江戸時代の水道インフラ...
- 2021/10/21
- 街の人のブログ
日本橋~新橋間は「江戸前島」と言われた標高3m~4.5m程度の湿地でした。日本橋・京橋・銀座地域は徳川幕府が埋め立てをしたという風説がありますが、現在の標高と同じ高さが維持された地域で埋め立ては行われていません。徳川幕府は埋め立てではなく、元々湿地ではあるけれども強固な土地であることから日本の中心として開発しようと選定したのでしょう。慶長江戸図(慶長7年、1602年)によると、日比谷入江の海が見られますが、以前紹介した日本橋川~京橋川間の11本の「舟入堀」は掘られていません。第二次天下普請(1611年~)で舟入堀の候補地となり、主として伊豆地方で採石した江戸城向け石垣の受け入れ地となりました。
今回ブログでは、 ① なぜ江戸前島に舟入堀が掘られたのか ② 上水設備と江戸前島の地層の関係 を考察します。

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