両国から茅場町・八丁堀へ歩く(江戸時代)...
- 2022/1/16
- 街の人のブログ
両国・新大橋方面から茅場町・八丁堀へ行く場合、車であれ徒歩であれ新大橋通りを通って鎧橋または茅場橋に出るのが一般的です。江戸時代は浜町・蛎殻町はほぼ全域武家・旗本屋敷であったために一般人(町人)は気楽にそこを歩くことは出来ませんでした。例えば新大橋付近から南茅場町(現証券取引所辺り)に行こうとした場合、次のルートを採用したと予想されます(江戸時代の町名で表します):
「新大橋(両国橋) →元柳橋→村松町南→久松町北→左折→浜町河岸を南へ→高砂橋を渡る→高砂町の間を西へ→和泉町→堺町→葺屋町→西堀留川に突き当たったら、左折し西堀留川河岸を南へ→思案橋を右に見て小網町二丁目へ→日本橋川の鎧河岸を南へ→鎧の渡しで→南茅場町へ」
GoogleMapで「江戸時代のルート追跡」をすると、『2.3Km、徒歩時間30分』という結果となりました。遠いですね!遠い他に問題は「鎧の渡しは夜7時には運行停止」でした。その不便さは筆舌に尽くしがたいものだったでしょう。
一方現在の新大橋(江戸時代の橋の位置は隅田川の下流にあったといわれていますが、距離・時間に大きな差はないでしょう)から中ノ橋経由新大橋通り~鎧橋の直線距離をGoogleMapで計算してみると1.2Km(16分)となり、大幅な短縮が見られます。距離は近い・夜でも行くことが出来るようになったのですから、人形町の活気が出るようになったのも当然でしょう。
鎧橋の架橋と新大橋通りの開発により、人形町は「商業の街=茅場町」と繋がることで発展のきっかけを得ることが出来ました。

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