小田原町の痕跡を探す...
- 2022/3/8
- 街の人のブログ
築地場外市場には「築地魚河岸」という2棟からなる建物があります。中央区により開設され、仲卸さんのお店がたくさん集まった、観光客はむろん、一般市民にとっても魅力的なスポット。
私はお昼のお弁当を買うとか、手巻き寿司用にマグロの中落ちを買うなど、お世話になっております。
さて、その2棟は海幸橋棟と小田原橋棟。いずれもこの地にちなんだ名を付けられたとのことです。
今日のお題は、小田原町。
この前を通るときに、小田原橋なんてなぜ?と思っていました。それに、年配の方が晴海通りを本願寺側へ渡ったエリア・本願寺の裏(南側)あたりを小田原町とか、南小田原町とおっしゃるのもピンと来ず。歴史小説でもこのあたりはその町名で登場しますが・・・
そういえば「歩いてわかる中央区ものしり百科」の旧町名の由来のページに、小田原町の説明がありましたね。
1966年に築地6・7丁目となってしまったこの地の町名は、築地魚河岸に残るのみでしょうか?
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