江戸狩野派と中央区 狩野画塾跡 ...
- 2022/5/1
- 街の人のブログ
板橋区美術館が 2020年7月から8月にかけて開催した「狩野派学習帳」を改めて読んでいます。
その説明によれば、
狩野派は、室町時代後期の狩野正信(1434~1530)から始まります。
正信は、中国絵師の作風(筆様)を習得し、足利幕府の御用絵師に上り詰めました。 正信の長男・元信(1477?~1559)は、絵師集団として狩野派を組織し、元信の孫、永徳(1543~90)による大画面の金碧障壁画は、織田信長や豊臣秀吉などの戦国武将を魅了しました。
江戸幕府の成立により、徳川家に仕えるため狩野派も京都から江戸へ本拠を移しました。
江戸狩野派とは、16歳で御用絵師に任命された探幽(1602~74)以降、江戸で活躍した狩野家一派の事です。
探幽は、画面の枠や余白を意識した構図に、詩情豊かで軽妙な筆致で描き、秩序と平穏が訪れた新時代に相応しい様式を生み出しました。(ここまでの説明は、板橋区立美術館が2020年7月から8月にかけて開催した「狩野派学習帳」の説明を参考にさせて頂きました)
※この「狩野画塾跡」の説明碑は、新装開店された ”ホテル グランバッハ東京銀座 Hotel Grand Bach” のグラスウオールに設置されています。 きっと、ホテル側が協力してくれたのでしょう。
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