【遠足シリーズ第37弾】史跡・遺跡・城跡が語る狩野家とは...
- 2022/5/4
- 街の人のブログ
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
先月、先輩特派員の銀造さんが「ホテルグランバッハ東京銀座 バッハと狩野派がお出迎え」でご紹介していたように、昨年、狩野画塾跡にホテルがオープンする等、その一帯に変化がありました。
狩野画塾跡の案内板が新しくなったほか、木挽町狩野派7代目当主 狩野惟信(ただのぶ)による「四季花鳥図屏風」(板橋区立美術館蔵)の一部が展示されています。
遡ること江戸時代。狩野四家は、鍛冶橋、木挽町、中橋、浜町(いずれも現・中央区内)に屋敷を拝領していました。
その中で最も繫栄したのが木挽町狩野家。
案内板によると、木挽町狩野家の祖・狩野尚信は寛永7年(1630年)に江戸に召し出され、竹川町(現・銀座7丁目)に屋敷を拝領し、奥絵師になったそうです。
6代狩野典信(みちのぶ)の時代には、老中田沼意次の知遇を得、田沼邸西南角にあたるこの場所に開塾しています。
↑ブログの続きはこちらからご覧いただけます。