【遠足シリーズ第40弾】吉田松陰密航の企てとその後...
- 2022/5/17
- 街の人のブログ
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
中央区観光検定の勉強をするたびに、吉田松陰の生涯における重要な出来事を頭に入れるわけですが、その際にいつも気になっていたことがあります。
それが、嘉永7年(1854年)に黒船艦隊が再来航した際、松陰が密航を企てるも失敗したということ。
密航の計画はどのようなものだったのか、なぜ失敗したのか、そのあたりを詳しく知りたいと思っていましたが、これまで先送りにし続けてきました。
しかし、先日静岡県下田市を訪れた際に、偶然にも関連史跡が近くにあったこともあり、一度にその事実を知ることができました。
ということで、今回は下田市内と中央区内の吉田松陰関連史跡をご紹介しながら、彼の密航計画およびその後に焦点を当てたいと思います!
まずは、時系列順に密航の舞台となった下田市柿崎にある弁天島へ。
下田湾に突き出した弁天島公園内には、「吉田松陰・金子重輔先生踏海企ての跡」の案内板(下の写真)と「踏海の朝」と題された2人の銅像(上の写真)がたてられています。

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