川柳『まん丸な日傘の並ぶ茅場町』--『茅場町傘』...
- 2022/9/3
- 街の人のブログ
江戸の傘は「下り傘」と言われ、大阪の大黒屋が造った「大黒傘」が原型でした。江戸で作られるようになったのは茅場町界隈、川柳に「まん丸な日傘の並ぶ茅場町」という句があります。傘や下駄を売る店が多かった「照降町(てりふりちょう)は小舟町一帯です。落語「髪結新三」の中に、雨が降ってきたので照降町で下駄と傘を買って履き替えたという場面があります。照降町には下駄と雪駄を扱う店が多く、雨が降れば下駄と傘が売れ晴れれば雪駄が売れたといいます。照っても降っても商いが栄える町なので、このような名前が付いた訳ですね。
時代劇で浪人が傘の繕いをしている場面が良く見られますが、番傘は現在の金額で5,000円~7,000円、日傘で20,000円以上と高価で、修理でも少しは生活のたしになったのかもしれません。
番傘が一般に広まったのは呉服商の「越後屋」が宣伝のために屋号と番号を大きく書いた「貸し傘」を扱ったためと言われています。これが「番傘」の由来です。番傘の最多の番号は1,500と言われていますが、実際には1,500本も作っていなかったという話です。ブランディングを確固とするためにホラをふいて1,500と言ったらしい。ブランディングの効果はてきめんで、以下のような川柳が見られます。
川柳に「江戸中を越後屋にして虹がふき」とあります。
添付の写真は現在の三越が2015年頃に実際に行った「貸傘」制度を知らせる写真と越後屋が作った「番傘」のイミテーションです。
「ごふくやのはんじょうを知るにわか雨」
「あいつらが貸すで売れぬとからかさ屋」
「古傘にいつも越後が、二三本」

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