中央区 忠臣蔵一考察...
- 2022/12/1
- 街の人のブログ
毎年師走になると赤穂浪士による吉良邸討入り事件、俗に言う忠臣蔵が注目されます。
当時は片手落ちな裁定を下した徳川綱吉や側用人柳沢吉保へ対し大っぴらな批判は口に出来ません。
生類憐みの令などお上に対する不満や浅野家への同情の感情が、特に江戸庶民に溢れていました。
半世紀たって赤穂事件を題材にして演じられた仮名手本忠臣蔵も遠慮から実名等を隠しての演目です。仮名は47文字で浪士の数を表し、お手本となる武士の大石内蔵助良雄(よしたか)は忠臣であるの意味です。
大衆の喝采を浴び、歌舞伎や講談、浪曲で創作話も演じられ、また偽物の登場など尾ひれも付きます。
吉良上野介義央(よしなか)は必要以上に極悪人にされました。

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