生誕400年河村瑞賢の材木商・治水事業・廻船回り(東遷・西遷) としてのインフラ整備のプロジェクトリーダーの凄さに魅了!...
- 2023/4/6
- 街の人のブログ
三重県南伊勢町(東宮村)1618-1699河村瑞賢(82歳没)は貧農に生まれる。
『評伝河村瑞賢』(博文館)では先祖は村上源氏・北畠氏の家来筋と自称
13歳で江戸に出て車力として生計を立て、川に流されたお盆のお供え物の野菜を漬物にして売った話は有名
九十九里浜東端の飯岡で江戸幕府(桑名藩)の土木工事(椿海の干拓/新川の開削工事)に携わり徐々に資産を増やし、材木商を営む。
1657年明暦の大火で木曽・福島の材木を買い占め、土木・建築を請け負うことで莫大な利益を得る。
1661-1673寛文年間に老中相模国小田原藩主稲葉正則と共に、それからなんと40代から~60代までの
20年間にも渡り幕府や諸大名からプロジェクトリーダーとしての才能を見込まれ、多くの治水・
銀山採掘事業などのインフラ事業を請け負い成功させる。
その功績により晩年、武士として旗本の身分となる。
という経歴の持ち主河村瑞賢に興味をもち、また大いに魅力を感じました。
東廻り・西廻り航路の航行の整備により、当時の全国の物流が劇的に改善したのです。
それも第4代家綱・第5代綱吉将軍の頃ですので、幕府の体制は経済的にも盤石となったわけです。
世界でも珍しい安定した戦争のない平和な世の中が確立し、徳川政権が270年間という第15代慶喜将軍まで続く経済基盤の安定へ繋がっていくのです。

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