銀座の1街区は60間(京間)x60間と言われるけど、本当?...
- 2021/6/15
- 街の人のブログ
将軍「徳川秀忠」が慶長16年(1611)に江戸の海岸線に舟入掘りを掘る計画を発表し、天下普請工事を発令したことが『御府内備考』に記述されています。秀忠は慶長17年に老中安藤対馬守を駿府の家康のもとに派遣し、実施の決済を受けました。
同時に日本橋の金座の責任者であった、家康の実子である「後藤庄三郎光次」に「江戸新開」の土地の町割り=都市計画を命じています。「江戸新開」の範囲は南北方向は日本橋南詰から銀座八丁目、東西方向は東は楓川、西は外濠の間です。江戸前島が対象となります。
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