江戸言葉のはじまりと八丁堀「玉円寺」の面白い話...
- 2023/9/16
- 街の人のブログ
江戸弁の成立はいつかははっきりしていません。家康入府以前といえば太田道灌(1432~1486)ですが、開府当初は上方系の言葉も使われていたと想像されます。徳川家康は三河出身であり、家康に従って江戸に入った家臣や商工業者も三河・駿河さらには尾張・伊勢の出身者が多数を占めていました。京や大阪の稲荷社を勧請して建立したため江戸初期には江戸に多いものとして「伊勢屋、稲荷に犬のくそ」と言われていたように、上方の言葉が主流だったようです。
人形町にある「松島神社」は代表的な例です。この神社の御祭神は次の14にも上ります:
稲荷大神・伊邪那岐大神・伊邪那美大神・日前大神(天照大神)・北野大神(菅原道真公)・手置帆負神・彦狭知神・淡島大神・八幡大神・猿田彦神・琴平大神・天日鷲神(大鳥大神)・大宮能売神(おかめさま)・大国主神(だいこくさま)
社地周辺を埋め立て武家屋敷を造営する工事の際に各地から大工、左官、家具職人達が集められました。そのまま土着した者も多く、町の中心に位置した松島稲荷には各々が出身地の氏神の合祀を依頼したため、結果として御祭神が14柱と、稀に見る多さとなっています。
このような背景の下に「江戸言葉」が出来たのでしょうから、江戸言葉の成立は「これだ」と単純に指摘するのは難しいでしょう。

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