「お富さん」はいかにつくられたか...
- 2021/8/16
- 街の人のブログ
中央区は江戸歌舞伎の歴史に深くかかわってきた土地であると同時に、さまざまな文化が浸透し、当時のパリにさえ優るとも劣ることのない洗練された町だったことが知られています。
歌舞伎の「世話物」人気狂言のひとつ『與話情浮名横櫛』(よはなさけうきなのよこぐし)は、登場人物の名を借りて一般に『お富与三郎』としても有名です。特に往年の流行歌手、春日八郎さんが歌って1954(昭和29)年に大ヒットした曲『お富さん』によって歌舞伎を観ない人にまでその名は知れ渡るようになりました。
その主役の一人、お富さんが住んでいたというのが〔源氏店〕(げんじだな/げんやだな)ということになっていますが、そのモデルは今の人形町駅近くにあった〔玄冶店〕(げんやだな)という一角です。幕府の御典医だった岡本玄冶という人の屋敷跡だったことから、そのような地名になったということです。
当時の人形町界隈は芝居や寄席が集まる歓楽街でしたから、エンタテイメント関係の人が多く住んでいたそうです。お富さんもそんな賑やかな地域の片隅で暮らしていたということですね。その場所を示す記念碑が建てられています。

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